成田山開基1080年祭記念大開帳奉修というので、

 何年振りかで訪ねてみた。
 駅から総門に至る参道の前半が改修され歩道が設けられ歩きやすくなったのだが、店どうしが離れて”馴染みやすい参道”というより”よくある名所の商店街”風となり趣が減ったように思う。
 ただ、うなぎ屋さんが連なる奥の参道は昔ながらだったので安心した。
 思うに、この細い参道、車の通りが多すぎる。一方通行というより日中は車の立ち入り禁止にして欲しい。
 うなぎの川豊の前で整理券発行機を目にし、今なら整理券なしで座れるというので少し早いのだが昼食にすることにした。

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 まだ座敷はガラガラ、注文したのはうな重(¥2500+税)と肝吸い(¥93+税)、
 下は店先でうなぎを捌いて焼いている様子、これが客寄せになる。
 
 印旛沼のうなぎといえば”い志ばし”と思っているので、成田山参道でうなぎを食べるのは初めて、
 川豊の蒲焼はとにかく柔らかく、とろとろに近い。その分焼けた香ばしさとか、身のぷりぷり感が無い。でも、うなぎの臭みは全くしない。新鮮そのもの!
 ただタレに粘りがなく薄味なので、追加のタレを頼んだがそれでもあっさりしている。
 自分としてはサンマのようなかば焼きを出してくれる”い志ばし”の方が好みとして数段上だ。
 
 成田山開基1080年祭記念大開帳だから訪れたのは、この催しが10年に一度しか行われないというのが一番の理由、
 ご本尊の不動明王は京都の神護寺に納められていた、空海が自ら一刀三礼(ひと彫りごとに三度礼拝する)の祈りをこめて敬刻開眼したという不動明王を東国鎮護の為に遷座したもの、
 その不動明王の手と大塔婆に下がる五色の手綱が紐で結ばれているというので、ぜひその手綱を握ってみなければ!!!
 その他にも普段は拝観出来ない様々な個所が特別開扉されるという。
 
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 総門から仁王門、大塔婆+大本堂、太子堂、と続く、
 まずは不動明王と手を間接的に結ばなくては、
 
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 行列に並んで手綱に触れなくとも、この大塔婆に触れることで不動明王と結ばれるような気もする。
 大本堂の中では護摩祈祷が行われていた。(満員!)
 
 成田山のおすすめコースはこの後、釈迦堂→光明堂→医王殿→平和の大塔と廻るのだが、
 成田山公園を散策することを先にしたので逆コースとなった。
 

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 平和の大塔の最上部には大日如来、釈迦如来など五智如来が奉られ、二階には不動明王、大曼荼羅などが奉られていた。
 青い不動明王は五色の不動明王の中で最高位と云われており、大本堂の不動明王が何色かはよく分からない。平和の大塔の不動明王は新しいのではっきり青と分かる。
 
 左下の大塔の隣りにある醫王殿に奉られる薬師瑠璃光如来の手と紐で結んで健康を祈る。
 
 次に、特別開扉されている”奥の院”の大日如来を参拝、
 続いて光明堂で天国宝剣を身体に当てて身体健全を祈ってもらった。
 さらに釈迦堂で釈迦如来を参拝、
 
 実は光明堂は1701年、釈迦堂は1858年に建立されたもので、本堂はこの順に移って現在の大本堂になっているとのことだ。よく前身が残っているものだ。
 
 前身といえば、なごみの米屋に立ち寄って成田山の更なる前身を知ることになった。
 
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 米屋本店の中を通り抜けて奥に”お不動様旧跡庭園”というものがある。
 そこには平成水守り不動尊があるが、その奥の木々の辺りに神護寺からの不動明王が一時遷座していたという。
 元々最初の新勝寺の御堂が建てられたのは公津が原、戦火で荒れた伽藍からご本尊を守る意味でこの地に一時安置した。その時不動明王に毎朝水を供える時に汲んだ大井戸が下の”不動の大井戸”、今でもその水を飲むことが出来る。
 
 今回は大開帳ということで、様々な新しい経験と知識を得た。